第4章



『よくわかんないけど世界征服とかなんとか・・・』

『――カリスマンっていうんだ。カッコいいでしょ?』

 あの日の翔の言葉。

 玲子の頭の中を支配し続けている言葉。

 それは彼女から元気の二文字を奪うには十分すぎるほど重い意味を持っていた。

「はぁ・・・

 壁に寄りかかり、俯き、既に何度目かすら解らないため息をもらす。

『あたしの友達の翔クンは、実はカリスマンの弟でした』

 なーんて言えるわけないよ。

 本当ならこの事を報告しなければいけないのだろうけど・・・

 でもね、本人はいたって良い子だし、特に悪さをしたわけでもないし。

 何より彼を裏切るようで・・・やっぱ言えないよう。                                                 

「はぁ・・・

 そしてまたため息――。





 そんな玲子に近づく3つの影。

 美穂、まゆ、夕香の3人である。

 基地内では大抵4人一緒で行動しているのだが、ここ数日は玲子の方が少し距離を置く形になっていた。

「どーしたのよ玲子、ため息なんかついて?」

「あ・・・みんな」

 美穂の呼びかけによって我に帰った玲子は、ゆっくりと振り返った。

 その表情にはいつもの元気は感じられない。

「あれあれ、なんかあったの〜? 元気ないよ〜?」

 いつもと違う反応に、まゆは覗き込むように玲子の顔を見た。

「そ、そんなことないよ?」

 そう言ってニカッと笑ってみせる。

 が、やはり笑顔にいつもの輝きを見ることは出来ない。

「そうですか? ならよいのですけれど・・・

 とは言いつつも疑いの眼差しで見つめる夕香。


 心配しているが故の疑い。

 気づけば美穂、まゆも夕香と同じ様子だった。

「え、えっと・・・

 玲子は突き刺さる視線に耐えかね、おもむろに腕時計に目をやった。

「あ、大変! もうこんな時間!」

・・・まだ翔君との訓練の時間じゃないよね?」

「う。するどい」

「以前にも同じ手で逃げられましたからね」

 さすがはこういったやりとりでは抜け目ないというかなんというか。

 とにかく美穂の突っ込みにより、玲子は逃げるきっかけを失った。

 玲子が誤魔化そうとしたことにより、3人の中の疑いが確信めいたものとなる。

・・・玲子、何か隠してますね?」

「ボク達にも話せないことなのかな?」

「う〜・・・

 言葉に詰まる玲子。

 3人はじっと玲子が口を開くのを待っている。


 言ってしまった方が楽なのかもしれない。

 玲子としても、彼女たちに重大な隠し事はしたくないし、するつもりもない。

 しかし今回は問題が問題だけに、言い出しづらいものがあったのだ。

 できれば自分の中で整理してから話したい。

 でも3人がそれで納得してくれるだろうか?


 そして考えた末、彼女は・・・

「――ゴメン!!」

 3人の前で拝むように両手を合わせ、謝った。

「その時がきたら絶対みんなに話すから、今日は見逃して!」

 合わせた両手が震えるほど、両腕に力が入っている。

 結局誤魔化しになってしまうかもしれない。

 でもこれが今の正直な気持ち。

 もう少し、もう少しだけ待って・・・

 そしたら必ず・・・



「玲子・・・

 3人は互いに顔を見合わせた。

 各々の表情は皆同じだった。

 そして皆の想いもまた同じだった。

 目をギュッと閉じ、両手を合わせたままの姿勢で返答を待つ玲子。

 彼女に気づかれぬよう、そっと顔の前へと近づいていく手のひら。

 しなやかな中指と親指が輪のような形を作り、わずかに力がこめられる。

 そして――。


 ビシッ!


「いたっ!?」

 突然の痛みが玲子のおでこを襲った。

 彼女はあわてて両手でおでこを抑える。

「えっ? 何っ? デコピン!?」

 デコピンかました相手を確かめるべく、玲子はゆっくりと顔を上げた。

 正面には、美穂がやれやれといった表情を浮かべて立っていた。

「まったく・・・何一人で深刻な顔してんのよ?」

「美穂・・・

「そうですよ。私達、ちょっと置いていかれてます」

「玲子ってばある意味暴走気味?」

「夕香、まゆ・・・

 3人の顔を見て、玲子は自分の中だけでやや盛り上がっていたことに気づいた。

 自分のリアクションがかえって事態を大げさなものに思わせていたのではないか?

「あ、あはははは……」

 玲子はそう思うと顔を真っ赤にして照れ笑いをした。


「ま、とにかく――」

 一呼吸いれて美穂は続ける。

「何を背負い込んでるのかは知らないけど、あたし達がいることも忘れないでよね」

「そうそう、ボク達にも少しは背負わせろ〜」

「2人の言うとおりです。私達はチームなのですから☆」

「みんな・・・

 3人の優しい言葉を聞き、玲子は安心すると共に彼女達を信じきれなかった自分を少しだけ恥じた。

 『私達はチームなのですから』

 信じあい、支えあい、共に戦う仲間。

 そんな基本的なことを忘れていたような気がした。

「ごめんね・・・

 玲子は謝った。

 隠し事をすること、信じきれなかったことを含めて。

「ま、いいから後でちゃんと話してよ?」

「私達、待ってますからね」

「ちゃーんと覚えているんだぞぉ」

 玲子を安心させる、それぞれの笑顔。

 その笑顔に負けないように、玲子もまた満面の笑みを浮かべて答える。

「うん、みんなありがとう! 絶対、絶対約束するよ!」

 感謝と決意で心を満たし、玲子はコミックZを後にした。






 さて、3人娘に笑顔で見送られた玲子だが、状況は決して明るくはなかった。

 ここ数日の翔との特訓にはあまり身が入ってはいない。

 そしてこのままでは今日もまた同じような結果になりそうだった。


「う〜ん、どうしたものかな〜」

 歩きながら考えるけど、なかなかいいアイディアは浮かんではこない。

 敵であるカリスマンの身内との特訓。

 とは言え実際のところ、あたしと翔クンとの関係は敵対するものじゃない。むしろ友好的。

 で、そこが問題だったりする。

 以前のように、何も知らない頃のように、お互い普通に振舞うことは多分できると思う。

 でも本当にそれでいいの?

 真実という名の暗雲がいずれ翔クンを包み込むことは容易に想像できる。

 その時に翔クンは一体どうなる? そしてあたしには何ができるんだろうか?

「――っと」

 思案にふけていた玲子は、特訓の場である祠へと続く、長い石段の前を通り過ぎてしまっていた。

 くるりと振り返り、石段の前まで戻った玲子は、立ち止まって大きく一つ息を吐いた。

 ――これ以上一人で考えていても答えは見つからないんじゃないか。

 そう思った玲子は、余計なことは考えずに正面からぶつかることにした。

「大丈夫! なるようになる!」

 自分に言い聞かせるように掛け声を上げ、玲子は石段を駆け上った。




 石段を登りきると、翔が祠に身を委ねるようにして静かに待っていた。

「あ、玲子さん! こんにちは!」

 彼は立ち上がると、いつものように、前と変わらぬ様子で玲子を出迎えた。

「やほ〜☆ おまたせ〜」

 そんな翔を見て玲子も勤めて普通に挨拶をする。

 ただし、ある決意を抱いて。

「翔クン、今日の予定なんだけど、いいかな〜?」

 玲子は翔の方へと歩み寄りながら話を切り出した。

「うん、何? どんなキツイのでも望むところだよ!」

 ニッと余裕の笑顔を浮かべて翔は答えた。


 事実、彼は玲子との特訓を続けることで、すばらしい進歩を遂げていた。

 玲子と出会った頃、彼女に軽くあしらわれていたのは既に過去の話。

 今の翔は、経験こそ足りないものの、その動きはまさに格闘家のそれと言っても過言ではないほどだ。

 玲子との組み手でも、時には彼女を押す場面すら見ることができる。

 そんな彼のことだ、更に強くなるための新たな特訓を期待したのだろう。

 しかし玲子の提案は彼の期待とは全く異なるものだった。


「えっと、今日の特訓は中止ね」

「え・・・?」

 あまりに予想外な突然の中止宣言に、翔は一瞬頭の中が真っ白になった。

 特訓が中止・・・

 頭の中の空白に、えもいえぬ不安のような感情が流れ込む。

 だが、後に続く玲子の言葉が彼を安心させた。

「で、替わりにミーティングをしようと思うんだけど。今後のキミとの特訓の方向性を決めるためにね」

「あ、なんだ、びっくりしたぁ・・・。てっきりもう特訓しないのかと思っちゃったよ」

 玲子の思惑を知らず、ほっと胸をなでおろす翔。

 ミーティング。

 それが玲子の出した結論だった。

「じゃ、OKかな?」

「うん」

「それじゃあ〜・・・とりあえず下に降りようか☆」

「了解!」

 元気良く頷いた翔を連れ、玲子は駆け上ってきたばかりの石段を、今度はゆっくりと降りていった。






 ――その頃、コミックZでは。


「よっこい・・・しょっと。鈴香さーん! これはここに置いていいんですよねー?」

「あ、はーい! そこで結構でーす!」

 作業服姿で働く美穂、夕香、まゆの姿があった。

 玲子と別れ、暇を持て余していた3人は、南から格納庫で鈴香のサポートをするよう指示を受けたのだ。

 サポートとは言っても機械の知識など持ち合わせていないため、ほとんど雑用係のようではあったが。

「ふう・・・ここはこのくらいかな」

 鈴香は額を流れる汗を袖でぬぐった。

 ちらりと時計に目をやる。うん、頃合かな?

「みなさーん、少し休憩しましょうかー?」

「お、待ってました〜!」

「ふぅ〜、ナイスタイミングですね☆」

 慣れない仕事に少々疲れ気味だったまゆと夕香は、鈴香の提案を大歓迎した。

 美穂も2人の隣で腰をおろしている。

 そして同じように作業をしていたメイドロボ達も、休憩という言葉を聞き、作業を一時中断している。

「では飲み物を持って来させますね。ええと・・・あ、そこのあなた、ちょっといい?」

 鈴香は3人娘の方へ歩きながら、近くにいたメイドロボに声をかけ、指示を出した。

「――かしこまりました」

 声をかけられたメイドロボはお辞儀をすると、格納庫から通路へ続く大きなドアをくぐっていった。



 それから程なくして、メイドロボがコーヒーの入ったカップとケーキをトレイに乗せて戻ってきた。

「――お待たせいたしました」

 お辞儀をして、カップとケーキを4人の前に並べていく。

 そして再びお辞儀をすると、それまで自分の作業していた場所へと戻っていった。

「はぁ〜・・・あれがロボットなんだ? 凄いもんだねぇ」

 感嘆の声を漏らすまゆ。

「そうですよ。ここは最先端技術の塊のような所ですからね。まぁ、作っている所は別ですけど。

 それにしても、彼女達のおかげで私も大助かりです。作業も正確ですし。ただ……」

・・・ただ?」

 鈴香は申し訳なさげに続けた。

「実は、先日からウチのメイドロボの多くが緊急のメンテナンスに行ってしまっているんですよ。

 何でも、通信機能を装備したタイプのメイドロボにウィルスが感染した可能性があるらしいんです」

「なるほど、私達がここへ手伝いに送られたのはそういう理由でしたか」

 納得したように頷く夕香。

「ええ、そうなんです。すみません、ご迷惑おかけしてしまって・・・。でも皆さんのおかげで助かりました」

「そんな、気にしないでいいですよ。これはこれで楽しいし、いい経験ですから」

 にっこりと笑顔を浮かべ美穂は答えた。

 夕香とまゆも同じ気持ちのようだ。

「ありがとうございます。・・・あ、コーヒーが冷めちゃいますね。では、いただきましょうか」

「そうですね。では遠慮なくいただきます☆」


 4人はそれぞれのケーキを口に運んだ。

「――! おいし〜い☆」

 顔をとろけさせ、目を輝かせるまゆ。

「ホントだ♪ これ、どこのケーキなんですか?」

「ふふ、実はこれ、ウチのメイドロボが作ったケーキなんですよ」

「えーっ! そうなんですか!? 凄いんですね、あのコたちって〜」

 鈴香の返答に驚いた美穂は、しげしげとメイドロボを眺める。

 本来はメイドとして生まれた彼女らだ、ケーキ作りが上手でも何ら不思議は無い。

「この事を教えたら、玲子、悔しがるでしょうね♪」

 頬に手を当てて、夕香が向けてでもなくぽつりと言った。

 それを聞き逃さなかった鈴香は小首をかしげる。

「そういえば・・・今日は玲子さん一緒じゃないんですね? どうかしたんですか?」

 鈴香に尋ねられ3人は顔を見合わせたが、話しても特に支障は無いだろうというように頷いた。

「ええ、実は――」

 ケーキとコーヒーを片手に、夕香はここ数日の玲子の様子について語りだした。






 自販機で買った缶ジュースを片手に、公園の中を歩く2人。

 最初はどこか食事でもしながら話そうかと思っていたのだが、玲子は自分の財布の中を見て驚いた。

 諭吉さんはもとより、稲造さん、漱石さんすら見当たらない。

 翔にいたっては財布自体持っていなかった。

 近くにATMは無さそうだったので、結局公園のベンチに落ち着いてしまった。


「よっと・・・

 ベンチに腰をかけ、一息つく玲子。

 その左隣に翔が同じく腰をかけた。

「ごめんねー、なんか場所的に祠の前とあんま変わらなくて」

「ううん、ここもいいと思うよ。ジュースも奢ってもらっちゃったし。ありがとう玲子さん」

「いえいえ、どういたしまして☆」

 プルタブに指をかけて缶の口を開け、くいっと一口。

「ふぅ・・・

 ベンチの背もたれに背中を預け、玲子は目の前に広がる光景に目を向ける。


 サッカーをする子供達。

 愛犬とじゃれあっているお姉さん。

 のんびりと散歩をしているおじいさん、おばあさん。

 いわゆる平和な日常。


 いつまでも続いて欲しい光景だが、一方でそれを壊そうという男もいる。

 ハラジロシスターズという組織を率い、世界を征服しようと目論む男。

 そして今、その男の身内が自分の隣にいる。

 そう、大切な友達が――。



 玲子は目線を翔の方へ戻し、一呼吸置いた。

・・・あのさ、翔クン」

「何、玲子さん?」

 玲子の葛藤を知る由もない翔は、缶ジュースを口から離し、軽い返事を返す。

「あたし、前にキミに聞いたよね? どうして強くなりたいのかって。

 あの時ははっきりした答えは聞けなかったけど、今はどう? 答え、見つかった?」

・・・答え・・・かぁ」

 翔は両手で持った缶に視線を移し、ぼうっと見つめる。

 言葉が続かない。

・・・・・・

 翔が口を開くのを玲子は黙って待っている。

 わずかな間ではあるが、重い空気が2人を包む。

 その空気に耐えかねたように、翔は玲子と視線を合わせず、ポツリと一言。

「よく・・・わかんないや」

・・・そっか」

 翔の返答に、玲子は苦笑いを浮かべて彼から目線をはずした。


 玲子を迷わせている問題。

 もし翔が明確な理由もなく単に強さを求めているならば、これ以上協力することはできないのではないか?

 心が伴わない力は、彼自身に災いを招くかもしれない。

 そんな考えが彼女の中で生まれていた。


 しかし、彼の口から続いて出た言葉がそれらを一蹴した。

・・・でもね、目標ならあるんだ」

「――え?」

「玲子さんに認められるくらい強くなって、いつかチームIKKATUに入れてもらうんだ!

 その為には、今よりもっともっと頑張らなきゃならないよね」

 翔は笑顔を見せてそう言った。

「あ・・・!」

 それを聞いて玲子の表情は、ぱぁっと明るくなった。


 なんだ。

 大丈夫じゃない。

 翔クン、それも立派な理由の一つだと思うよ。

「なるほど、その意気や良し! あたしも全面的に協力しちゃおう! キミならできる!」

「ホント!? ありがとう玲子さん!」

 2人はガッシリと握手をし、互いの決意を確かめた。




 その時。


 一陣の風が2人を凪いだ。


「うわっ!?」

「きゃっ!? 凄い風〜!」

 強風によって翔の手から飲みかけの缶が弾き飛ばされた。

 道に落ちた缶は、中身をこぼしながら風に乗って転がっていく。

「あ〜あ、まだ残ってたのに・・・

 翔は名残惜しそうに転がっていく缶を見た。

 そして既に中身のなくなった空缶を拾うべく、仕方なしに腰をあげた。


 カラカラと音を立てて転がっていく空缶。

 空缶は、何者かの足に当たって止まった。


 空缶が当たってしまった男に謝ろうと、翔は顔を上げた。

「あ、すいませ・・・・・・

 男と目線が合った瞬間、体が硬直する。


「――先程の貴様の目標、悪いが諦めてもらおう」

 男の声が響く。

 決して大声ではないが、威圧感のある声。

 声の主、それは――。



「にい・・・・・・さん?」





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