日常。
取り立てて変化・発展が見られない、日々の暮らしの状態。
普通の事として、毎日のように繰り返し行われること。
何の刺激も無い生活を送っていれば、それは日常。
刺激があったとしてもそれが頻繁に続くようなら、それもまた日常。
日常から日常への繰り返し。
その境目は自ら望むこともあれば、前触れなくやってくることもある。
――そして境目は、前触れなく玲子の元へとやってきた。
「ち、父の仇ーっ！」
「へ？」
玲子の前方から歩いてきていた見知らぬ少年。
中学生くらいだろうか、まだ幼さの残る顔つきをしている。
袖をまり前をはだけ、頭には赤いバンダナ。グローブまでつけている。
一言で言うなら、リトル翔サマ。
そんな少年が突然玲子に向かってダッシュしたかと思うと、叫びながら右腕を大きく振りかぶる！
「くらえーっ！」
「わ、ちょ、ちょっと！？」
振り下ろされた少年の拳を、訳もわからないまま玲子は体を軽くひねってかわす。
「あれ？ うわったった！？」
べしゃ。
寸前で標的を失った少年は、自らのダッシュと拳の勢いでバランスを崩し、その場で転倒してしまった。
動かないこと数秒間。
しばらくして少年は何とか体を起こし、あたりを見回す。
「いって〜･･････」
「え〜と･･････大丈夫、キミ？」
とりあえず玲子は、目の前で地面にダイビングした少年を気遣う。
状況は把握できていないが無視も出来ない。
ましてや『父の仇』などと言われているのだから尚更だ。
「立てる？ 手、貸そうか？」
未だ立ち上がらないでいる少年に手を差し出すが、少年はそれを無視して自力で立ち上がる。
そしてパンパンと服についた土埃を払い、一言。
「･･････ちくしょう、覚えてろ〜！」
「あ、ちょっと！？」
もはや説明の要らない捨て台詞を残し、少年はその場から逃げるように走り去っていった。
「･･････お〜い」
結局何がなんだかわからないまま取り残されたのは玲子。
･･････あの身のこなしは間違いなく素人だ。
『敵』にならともかく、一般人に仇呼ばわりされる覚えは全く無いし。
故にこれは彼の勘違い。きっとそうだ。そうに違いない。
玲子は自分の中でそう結論付けた。
だが、翌日――。
「母の仇ーっ！」
「ちょっと待って！ 父の仇じゃなかったの！？」
昨日と同じ時刻同じ場所。
少年の攻撃をかわしつつ、玲子は昨日との相違点をつっこむ。
それを聞き、少年はふと足を止めて。
「･･････あ、間違えた」
「間違えたって･･････キミねぇ･･････」
何ともいえない脱力感が玲子を襲う。
それに対して少年は、特に『しまったぁ！』などとは思っていないらしく。
「まあ、それは置いといて」
置いとくな。
「とにかく仇ーっ！」
「何よそれーっ！？」
渾身の一撃による奇襲を失敗した少年は、今度はパンチの乱れ打ちを放つ。
しかし全て大振りなため、玲子は無駄のない最小限の動きで難なくかわしていく。
そして打ち疲れたのか、少年は肩で息をして動きを止めた。
「はぁ、はぁ、はぁ･･････」
息ひとつ切らしていない玲子は、ここがチャンスと見て少年に尋ねる。
「あのさ、仇とかなんとかって、たぶん勘違いだと思うんだけど･･････」
「はぁ、はぁ･･････き、今日･･････」
「ん？ 今日？」
「すぅ〜･･････はぁ〜･･････」
少年は呼吸を整えるべく深呼吸をして。
「今日のところはこれで勘弁してやる〜！」
ベタ台詞２号を残し、またその場から走り去っていった。
「あ、あの〜･･････」
またもや置き去りにされてしまった玲子。
う〜ん、どうにも少年のペースにはまってしまっているなぁ。
よぉし、明日は･･････。
３度目があると信じ、ある決心をした玲子だった。
そしてその３度目はやってきた。
「お、来たね？ 今日はあたしが攻める番！」
「え？ あ、うわっ！？」
やはり同じ時刻の同じ場所。
すでに臨戦体制を取っていた玲子は、少年の姿を見つけるや否や自分から駆け出す！
玲子の予想外の行動に慌てたのか、少年の足が止まる。
その隙を逃すような玲子ではない。
少年の右腕を軽く捻りつつ、素早く背後を取った。
「いてててて！」
「そんな強くやってないよ〜、大げさだなぁ。
それよりも☆ こんな住宅街の真ん中で人を仇呼ばわりした理由、ちゃ〜んと説明してもらうからね〜」
「う、うん･･････わかった」
根は素直なのだろう、少年は特に抵抗することはなかった。
その顔からはあきらめと反省の色が見て取れる。
「おっけー☆ 逃げちゃダメだかんね？」
にぱっと笑い、手を離す玲子。
「それじゃあ、立ち話もなんだから･･････そだ、ちょっち付き合ってくれるかな？ 時間ある？」
「別に大丈夫だけど･･････どこに行くの？」
「おなかも空いちゃったからねぇ〜、なんか食べに行こ♪」
そう言うと、玲子は少年と肩を並べて歩き出した。
２人の着いた先。そこはファミレスだった。
ウェイトレスは皆、メイドさんっぽい制服に身を包んでいる。
２人はウェイトレスに窓際の席へと案内された。
「いいでしょ、ここ？ 制服も可愛いし、メニューも面白いのがあるんだよ♪
今だと『あさひちゃん弁当』かな？ ファミレスなのに弁当って可笑しいよね〜☆」
「･･････」
何やら神妙な面持ちであたりをキョロキョロと見回す少年。
どうやらこういった場所に慣れていないようだ。
「さて、と。まずは自己紹介ね。あたしは芳賀玲子。玲子って呼んでね☆ で、キミの名前は？」
「僕？ 僕は･･････翔」
翔と名乗った少年は、相変わらず落ち着かない様子でそう答えた。
それを聞いて玲子の目がパッと輝やいた。
「すごーい！ 翔って言うんだ？ じゃあじゃあ、その格好ってやっぱ翔サマのコスプレなワケ？」
「しょうさま？ こすぷれ？ ･･････何それ？」
謎単語を耳にして、翔は首を首をかしげる。
「あ、知らなかった？ ゴメンね、勘違いか〜」
「？」
ちょっとだけ残念な玲子だった。
オーダーを済ませた玲子と翔。
店の込みようからすると、料理が来るまで少し時間がかかりそうだので、玲子は早速質問を始めた。
「じゃあ、単刀直入に訊くね。あたしのこと『仇』とか言ってたけど、あれってどういうこと？
あたしには全然身に覚えがないんだけど」
「あ、あれは･･････言葉のあやって言うか、人を襲う時にはそう言うものなんだって兄さんが･･････」
「はぁ！？」
思わずガクッとなる玲子。
「すると何？ あたしのこと知らないのに襲ってきたの？」
「いや、全然知らないわけじゃないっていうか−−兄さんがね、玲子さんを襲うように言ったんだ。
それで･･････ごめんなさい」
翔は素直にペコリと頭を下げた。
「･･････う〜ん、キミのお兄さんって何者？ あたしの知り合い？」
「さあ･･････そこまでは聞いてないよ。ただ、僕は強くなりたかったんだ。それを兄さんに言ったら、
『強くなりたいのなら強い者と戦うのが一番』とか言って、玲子さんのことを教えてくれたんだ」
「ふ〜ん、そぉなんだ･･････」
あたしのことを『強い者』と言う男。
あたしが『強い者』だということを知っている男。
それはコミックＺ関係者、もしくは･･････。
玲子の頭の中を、ちょっとした不安が駆け巡る。
「･･････あの、玲子さん？ どうかしたの？ やっぱり怒ってる？」
玲子が急に黙ってしまったことで少々不安になった翔は、玲子の顔を覗き込むように話し掛けた。
「へ？ あ、いや、何でもないの。怒ってもいないよ？」
「そうなの？ ならいいけど……でも、ホントごめんなさい」
「いいって、気にしないで。怪我したわけでもないし。それより、翔クンはどうして強くなりたいの？」
結論を出すにはまだ早すぎる。
そう思った玲子は、直球ではなく変化球で攻めることにした。
「うん、実は――」
「実は？」
「僕にもよくわかんない」
「･･････え〜と」
ちょっとだけガクッときた。
「･･････けど、『強くならなきゃいけない』っていう気持ちが日に日に強くなっているのを感じるんだ。
それが誰のためなのか、何のためなのかはわからないんだけどね」
翔の目は嘘や冗談を言っているようには見えない。
それどころか、しっかりとした強い意思のようなものが感じられた。
「へ〜、そんなに強くなりたいんだ？」
強くなる。
男のコなら一度は誰しも思うことなのかもしれない。
そして目の前にいる翔クンの場合、それが興味本位や邪なものではなさそうな気がする。
「――じゃあさ、よかったらあたしがキミを鍛えてあげようか？」
「え？」
玲子の口から自然とそんな言葉が出てきた。
「どうして･･････僕、玲子さんに迷惑かけたのに･･････？」
「さあ･･････あたしにもよくわかんないや☆ それとも、あたしじゃ役不足かな〜？」
悪戯っぽく微笑む玲子。
「う、ううん、そんなことない！ ･･････でも、ホントにいいの？」
「もちろん！ じゃあキマリだね♪ 明日から特訓開始！」
戸惑いの隠せない翔を後押しするかのように、玲子は握手を求めて右手を差し出す。
「･･････うん！ よろしくお願いします！」
翔はその手をしっかりと握り返した。
強く、決意に満ちた表情で握り返した。
【第２章へ】